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▼ 学校概要

学校概要 「変革を担う女性の育成」を使命に
西暦1900(明治33)年、津田梅子によりわが国初の女子高等教育機関の一つである「女子英学塾」として創立。「津田英学塾」「津田塾専門学校」と変遷を重ね、1948(昭和23)年、学制改革と同時に「津田塾大学」へと発展し、2025年には創立125周年を迎えます。 

本学はAll-round Womenの養成(全人教育)という創立者の先覚的な理想に基づき、学生の個性を重んじる少人数教育と高度な教育研究を積み重ね、3万6千人を超える卒業生を社会の各分野に送り出してきました。卒業生の多彩な活躍と社会的な貢献は、本学の誇りとするところです。  

「男性と協同して対等に力を発揮できる女性」の育成は創立者津田梅子の願いであり、本学が真摯に取り組んできた課題です。この理念が広く確立されることを目指して、本学はたゆまぬ努力を続けていきます。

▼ 動画学校案内

ここで紹介する動画は学校案内(コマーシャル含む)のものです
動画概要 津田塾大学 Tsuda University キャンパス紹介
放映時間 5分30秒
登録日 2021年04月21日
学校動画 学校の動画まとめページがあります
動画URL 津田塾大学の動画案内ホームページ

▼ 関係校

学校名 学校種 地域
津田塾大学大学院 大学院 東京都
津田塾大学 大学 東京都
歴史沿革
1900(明治33)年、津田梅子によりわが国初の女子高等教育機関の一つである「女子英学塾」。1948年、(新制)「津田塾大学」誕生。2020年、津田塾大学創立120周年。

▼ 生涯学習、大学施設紹介など

広報誌 Tsuda Today
Webで読める広報誌。PDFデータがあります。直近版は12ページ構成となっています。
津田梅子 ~ 近代日本人の肖像:国立国会図書館情報
父は幕臣で農学者となった津田仙。明治4(1871)年開拓使が募集した女子留学生の一人として、岩倉遣外使節団とともに数え8歳で渡米。初等・中等教育を受け、15年帰国。華族女学校教授になったが、22年再び米国に留学し、ブリンマー=カレッジの生物学選科生となる。25年に帰国後は華族女学校教授に復帰、のち女子高等師範学校教授を兼任。33年に辞職し、女子英学塾(後の津田塾大学)を創立して、英語教育や個性を尊重する教育に努め、女子高等教育の先駆者となった(解説は国立国会図書館情報からの引用)。
津田塾大学 教育情報の公表
学校教育法施行規則第172条の2関係(教育研究上の目的、教育研究上の基本組織、入学状況及び卒業後の進路などの情報)。5R740