人格接触による手塩にかける教育
和の精神を礎にした「指導者が誠の心をもって生徒・学生の自然の心を誠の心に育て上げる」教育、「人格接触」の教育、「手塩にかける」教育を実践しています。
凝念を通じて心の力を鍛える教育
凝念は、心の働きを一点に集めること、精神統一が目的です。姿勢正しく腰を掛け、両手は下腹部に合わせて瞑目して、臍下丹田(せいかたんでん)に力を入れ るとともに、心を丹田に集中するよう努力するものです。このようにして、心の力が当面する物事に集中する習慣付けをすることを目的とした修養法です。
実践躬行の体験教育
王陽明の「知行合一」、二宮尊徳の「実践躬行」およびジョン・デューイの「ラーニング・バイ・ドゥーイング」の思想の流れを汲む体験教育は、「思索と体験の一致の教育」で、単なる頭の教育に終わらず、判断力と実行力に優れた人の育成をめざしています。
「健康、真面目、努力」の校訓に基づき、明るく、強く、正しい精神を体得させ、あくまでも良識と実践力のある心身ともに健全な生徒・学生の育成を目的として創立以来歩んでいます。
作詞 岩河信義/作曲 鈴木米次郎
昭和6年3月10日の旧制中学校第1回卒業式を前に、校旗・校歌が作られました。
校歌は、全体は5節からなりますが、現在は1節・5節の2節が歌われています。
昭和6年2月4日の凝念の時に完成が発表され、2月11日紀元節(今の建国記念の日)に歌われて以来、男子部で歌い継がれていました。
作詞 土岐善麿/作曲 信時潔
昭和29年4月に開設された女子部の第1回卒業式を前に、昭和32年2月5日完成、3月25日の卒業式で「女子部の歌」として発表されました。
凝念とは
姿勢を正して、心を一点に集中。「凝念!」の掛け声とともに眼を閉じて心を落ち着かせます。物事のはじまりと終わりの切り替えに凝念を行うことで心を整え、集中して次の行動に移ることができます。心の成長につながる「凝念」の教えは、明星の創立以来受け継がれてきました。明星中学校・高等学校では、月に一度、全員が講堂に集まり、「こころの力」を鍛えるとして創立以来受け継がれてきた「心力歌」を唱和したのち、校長講話を聞く時間があります。
第一章
天高うして日月懸かり、地厚うして山河横はる。日月の精、山河の霊、鍾まりてわが心に在り。
高き天と、厚き地と、人と対して三つとなる。人無くしてそれなんの天ぞ。人無くしてそれなんの地ぞ。
人の心の霊なるや、もつて鬼神を動かすべし。人の心の妙なるや、もつて天地に参ずべし。
燦たるかの月と日と、遥かにわが心を照らす。わが心の凝りて動くや、よく日月を貫くべし。
峨峨たる山、漫漫たる河、つねにわが心に通ふ。わが心の遠く翔るや、よく山河を包むべし。
ただ六尺の肉身に限らるるわが心ならず。ただ五十年の生涯に、盡きぬべきわが心ならず。
見よ、雲に色あり、花に香あり、聞け風に音あり、鳥に聲あり。この中に生を託したる、われ人にこの心あり。
至大志剛はこれ心力、志玄志妙はこれ心霊。ただこの心があるが故に、われ人は至上志尊なり。
それ眼前の小天地は、離合聚散常ならず。
われとわが身とこころとを、この中にのみ限るものは、天なる日月の精を見ず、
地なる山河の霊を知らず。その精と霊とを鍾めたる、わが尊さをわれと悟らず。
眼にさへぎる影を拂へ、耳に塞がる塵を去れ。その影消え、その塵絶え、心はすみて鏡の如く。
湛然として淵の如くば、かの小天地に限られし、きのふのわれを外にして、
至上至尊のわれあるを知らむ。